震災の時とかにさ、自分を犠牲にして子どもたちを助けた先生とかそういう行為について、自己犠牲よくないみたいな論調とかあったじゃん。そのころから「正しい生き方」について社会が押し付けるの増えてきた気がするんだよな。それこそ、特攻隊犬死に論とかもそうなんだけど。
伯夷・叔斉に馬鹿じゃねーっていうのって古来から行われてきたとは思うんだけどさ、自らの生き方は自らが決めるものであり、過剰に他人に迷惑をかけなければ良いと思うんだけど、相談もされてないのにそれはお前の幸せじゃないって言っちゃう人が多くてさ。それって他人を一個の人間として認めていないのと同義で社会の歯車としての人間はどうすべきかの話に近いわけじゃないですか。でも本来社会の歯車であれば個人よりも全体を意識して云々になるはずなんだけど最近はそういうのではなくて、誰かの決めた正しい規範に従って生きるのが正しいみたい。そんなのリベラルがもっとも忌避していたものだと思うんだけど、なぜか正しさを押し付けてくるのは自称リベラルのほうが多い印象を受けている。いやちょっと待てよと。
他の人に迷惑をかける愚行は制限してもいいと思うけどさ、それ以外の正しさについては他人が制限をかけることではないじゃないですか。そりゃ未成年とかはその判断能力の発達の過程だから保護するとしてもですよ。
生き方ってのは個人の尊厳そのものなんだからさ、正しさについて過剰に介入してはダメなんだと思うよ。