ポスターの問題に限らず。
大雑把に言って、女子が鑑賞の対象になりやすく男子が鑑賞の対象になりづらいのは社会の構造上の問題であり、各性に割り当てられている相対的な商品価値の問題だと思うし、根本的に問題を解決するためにはなにがしかの役割の変更を伴うことになりそう。
で、問題はそれを全員が望むわけではないことだよね。
じゃあ、役割を変更しないで付加価値だけ対称性を持たせるか。具体的には男性の性の商品価値を高めるか。ある意味単に性がオープンになっただけかもしれない。意味を薄めることで問題が問題でなくなるということもあるかもしれない。個人の問題を無視して考えると性の問題は公衆衛生の問題に過ぎないのかもしれない。
自分では生理的な問題だと思っているものも根本的には社会の規範と教育(価値観)に基づいたものだったりして生物的な本質とは関係なかったりする程度には人間って理性的な存在なので、例えばホモを気持ち悪く思い鳥肌が立つようなことだったとしても、鳥肌が立つのは別に人間としての本能がそうさせているわけではなく、価値観の問題だと思うんだよね。
社会の規範というのは社会を機能させるために妥当な価値観を含んでいて、そこから外れた価値観を否定はしないけれども推奨はしない、というのがギリギリのラインなんじゃないかと思うけど、社会を機能させるというのは今の文化文明で実現可能な方式を意味しているだけに過ぎなくて、男女が一夫一婦制を守り結婚して子供を産んで育てるという社会の構造そのものですら人類始まって以来なわけでもない(し、現時点で採用していない文化だってあるし)。
ただ、この手の話はゆるやかに進めていかないと、変革に犠牲を伴っちゃうことが多いんじゃないかな、とも思う。特に(既存の価値観に基づく)社会の護持者であり変革に対する重しでもある主に年寄りをどう扱うかってのが重要なんだと思うんだよね。旧態然としている、という批判は全く無意味で(だって旧態然としていることがアイデンティティーなわけで)、あなたのいなくなった未来は変わっていくんだよ、ということにだけコミットしてくれれば良いわけで。あるいはもうやっちまうかだよね。犠牲を払う価値が総体的にあるかということは問題になるとして。
その点、この先の世界が危機を迎えるとしたら、人間の寿命が著しく伸びた上に宇宙に進出できないという状況から生まれるんじゃないかと思ったりもする。インターネットもアンシブルもない宇宙の彼方に文化的フロンティアを求めるのが最も安直かつ現実的な解決策なんじゃないか…生きているうちは無理かな…