novtanの日常

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善意依存システムの限界

新幹線の中で父親が子供をあやしていたら通報された、という話が話題になっていますが、公園で通報されたとかそういうのも含め、そういう事案が多く報告されてますよね。背景には児童相談所の云々とかもそうだし、虐待に厳しい社会(これは当たり前ではあるけど)になってきたこともありますが、一方で、全く問題がない事例の勘違いによる通報は相対的に増える(じゃないと、通報なんてできない=見殺しにしたと非難される)わけですよね。ましてや、イタズラや相手に対する悪意による通報が発生するとなると、社会システムだけでは対応できないということになってくるわけです。ローカルの話においてはコミュニティー内にある程度依存することは可能かもしれません。「あら、この人、~ちゃんのお父さんだから大丈夫ですよ」の証言一つで問題なくなるようであれば、通報されるコストは限りなく低くなる一方で、そういった地域のコミュニティーに依存してしまうとその中では「善良を装っている」虐待親みたいなのは発見が遅くなりますよね。また、コミュニティーに入れないことが実質的な差別に繋がるかもしれない。法律であるとか、行政にであるとか、そういった仕組みは「理不尽なローカルルール」を避けるために機能するべきなんですが、行政そのものが理不尽なローカルルールの体現だったりする場合もあって世の中大変ですよね。

ともあれ、現代社会においては守るべきマナーやルールに社会を構成する人間のモラルが追いついてないと感じることが多くなっています。これは教育の敗北的な部分もあるんだけど、一方で旧来型のモラルに縛られたくないがために社会における価値観のすべてを個人に委ねてしまうという思想の問題でもあります。ラディカルな手段を選択することすらモラルに抵触する現状においては、社会の正しさを実現するためには徐々に変化することを目指さなければならないと思うんだけどね。

ネットのセキュリティー対策とほぼ話は同様なんだけど、いくつかの「対策」とされるものが善意の利用者の利便性を落とす一方で、悪意のあるものからの攻撃には抵抗の術がない、というものになっている(例えば、パスワードの定期変更みたいな話はごく限られた場面でしか有効ではない)。こういった対策のふりをした脆弱性を、場当たり的に決めた「対策」は数多く持っているよね。善意によって運営される社会機能はもう限界を迎えている。こういった機能は大雑把に言うと「世間体」を代表とした社会的ペナルティをセットとして成立していたのに、もはや世間体のようなペナルティーそのものが悪とみなされているからね。
であるならば、社会の安全性機能は悪意による事象を中心に要件を持つべきであり、それによって起こる犠牲そのもの(無実の罪で通報されることなど)は容認する一方で、要件に該当しない場合には即座に放免される、という仕組みを持つべきだよね。こんな話は痴漢冤罪のところでさんざんなされているけれども、とにかく社会がそういったことに慣れるべきではあるよね。もっとも、海の向こうでは「紛らわしいから射殺しちゃった。ごめんちゃい」という事象がまあまあ起きていることを考えると、市民が一時的に拘束されることに慣れるというのも考えものなのではあるが。