novtanの日常

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転売屋を肯定するかどうかである程度人間性が測れるように思える今日このごろ

市場の取引が自然のままで常に公正でいられるか、というのは重要な課題だとは思う。商品の値段が需給関係で決定されるという素朴な経済学だけを全面に押し出して市場の機能を全肯定するのってどう考えても思慮不足であり、人間の悪意に対しても肯定的である(勝ったもんが勝ちみたいな)という価値観で生きているとしか思えないんだけどね。
市場に規制があることの負の側面だけ捉えて批判することも多いだろうけど、何分商取引というのは古来から不正との戦いであって、焼畑農業だけをやっていたら市場には未来がないし、健全に育てることで全体として最大の利益を生むという社会の考え方がある中でそれに横槍を入れる行為を肯定的に捉えるというのはそういうことだよね。

端的に言うと、テクノロジーの進化によって空いた穴を突く行為がどの程度まで許容できるか、という問題なんだよね。市場の健全性にとってどちらに作用するかは物によって違うので正直わからないところがあるけれども、一つの評価としてそれで市場が育つか、という観点は重要だと思う。ただ、それによって市場が衰退するだろう、ということ自体は予測でしかなくて、現実とすり合わせていかなければならない部分もあるし、商取引を公正に保つ努力というのは必ずしも市場にだけ課せられた義務ではなく、そこに参加するものが作り上げていく必要があるものなんだよね。
だから、そういったコンセンサスを崩すとみなされる勢力は参加者から排除される。となると、雑誌とかは立ち行かなくなるわけだから、ああいった発言が重たい処分になるのは市場(間接的とは言え、大きく依存している)からの排除が雑誌の存亡に関わるものと評価されたということだろう。

外野がとやかく言えることはあんまりなさそうだし、コモディティじゃない商品における特殊性について一般論にしてはいけないとは思う。逆に一般論から転売屋支持するのってどんだけ視野狭いんだろうって思うけどねえ。